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学校法人ユナイテッド・ワールド・カレッジ ISAK ジャパン2年 伊藤 澪里さん |
ソーシャルメディアを使う私たちは、常に世界の動きに振り回され、テレビの前の子どもたちは、世界規模に夢を描く。AppleとAmazonは新しい形の国家を築こうとしている。
私の親友は、パレスチナのガザ地区出身である。「天井のない監獄」と呼ばれるガザには、電気も医療物資も足りていない。毎日のように家の近くに落ちる爆弾。あきらかにハーグ条約に違反する威力の大きい銃弾で撃たれ、脚を無くした人々を目にするのが日常となっている。それでも人々は抗議を続け、国境が開く日を待ち望んでいるのだ。そうでなければ、彼らに未来の可能性はない。私は他国の人権問題に取り組む日本人や、発展途上国の子どもたちのために、汗を流す人を見てきた。彼らは日本の人々を啓発する講演会やキャンプを開き、国内で寄付を募る。そして何より困っている現地の人たちから頼られている。彼らの奮闘する姿を見て、いつも私は、彼らのように格好よく生きたいと思うのだ。ところが同時に、違和感を覚えることがある。
日本はパレスチナ・イスラエル問題について中立国であるため、日本人ひとりの意見は問題に反映されづらい。国境では、日本人がデモに参加することを目的として、パレスチナに入ることを許されない。どんなに日本人が心を寄せても、ずっと手を繋いで戦うことはできない。国家であるためのさまざまなルールが、お互いに「干渉するな」と、見えない壁を建てているのだ。
私の親友の国と私の住む国は、世界が違うのだろうか。私が将来海外で勉強をしても、海外で働くことになったとしても、私が日本人である限り、彼らのために何もできないのではないだろうか。もし私が、パレスチナの抗議活動で一緒に石を投げ、アフリカの子どもたちが働いている工場でボイコットを起こし、カナダの先住民族と一緒に彼らの生活を守り、アメリカの選挙で投票することができたなら、私は、世界の不公平に対する怒りと、それを解決できないことに対する違和感や無力感を抱えながら、この場にいなかったかもしれない。
私の学校には多様な国から生徒が集まっている。私が日本の歴史と文化を誇らしく語ることができるように、彼らも自分たちの国について語る。彼らは自分のルーツを愛しているが、母国を離れ、日本に来ることに価値を見出したのだ。現代には、新しい価値観を得るために世界を旅する人々が大勢いる。国家単位だった社会がグローバル社会に合流し、世界の人々の興味は確実に「海外」に向けられてきているのである。
私は、国家はいらないと思う。私たちの思いは国を超えているのに、まだ能力は国に抑えられているのだ。情報は光の速さで世界に広がり、物資も世界中から流れ込んで来る。世界に点在する多国籍企業の時価総額は、アフリカ全土のGDPと肩を並べ、オセアニアを優に超えている。ここまで自由にテクノロジーが発達した世の中で、人々の行動が制限されているのは不自然なのだ。
国連が世界政府となり、国家が地方議会となればよい。人々は住みたい地域に引っ越し、世界の法律に従えばよいのではないだろうか。いずれにせよ、世界を分断する国家が、市民に対し、また国家同士に権力を行使し合っている現状が、正しくないと私は思うのだ。
私はパレスチナの人々を救う夢を描いている。難民が帰りたい場所に、旅人が行きたい土地に受け入れられる世界を強く願い、人種や宗教による分別がない社会に思いを巡らせている。国家をなくすことは不可能に聞こえるかもしれないが、国家が崩壊しても、人々はパスポートを失うだけで、今までに築いた文明は失われない。国境など気にしていなかった人々が、新しい社会を立て直せばよいのである。