第20回高校生小論文コンクール審査結果発表
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個人 読売新聞西部本社賞 個人部門
読売新聞西部本社賞
福岡県立三池高等学校2年
田中 涼佳さん
「お地蔵さんが教えてくれたこと」

 私の家のリビングにあるテレビ台の中に、一体の小さなお地蔵さんが置かれている。名前はまさかちゃんだ。まさかちゃんはこの世に生まれてくることができなかった私のお姉ちゃんだ。

 子宮外妊娠を知っているだろうか。これは、受精卵が子宮内膜外に着床してしまうことで、約1パーセントの確率で起こるといわれている。たった1パーセントと思う人もいるかもしれないが、大切な命が生まれてこられないまま亡くなってしまうのだ。私の母は「病院で、かわいい赤ちゃんが生まれてとても幸せそうな他のお母さんたちの姿を見ていると、どうして自分は母になれなかったのだろうと、とても辛かった。生んであげられなくて、助けてあげられなくて、ごめんね」と思ったと話してくれた。お姉ちゃんとは言ったが、実は母の体から手術で取り出された2ヶ月のまさかちゃんは、まだ性別もわからない小さな小さな塊だった。しかし、お医者さんは「心臓らしきものが作られていた」とおっしゃったそうだ。両親は、生まれてくることができなかった我が子に、二人の名前をとって「まさか」と名付けてお地蔵さんとして置いているのだ。私はこの話を聞いた時、とても複雑な気持ちになった。生まれてきたくても生まれてくることができなかった命があるということ。親になりたくても、なれない人がいるということを知ったからだ。さらに「もし、まさかちゃんが生まれていたらお姉ちゃんがいたのになあ」と残念がる、まだ幼かった私に、両親はこんなことを話してくれた。「まさかちゃんが生まれていたら、1歳も違わなかったから、涼佳は生まれていなかったんだよ」と。まさかちゃんが生まれてこられなかったから私が生まれることができたのだ。私はこのことを重く受け止めなければならないと思う。まさかちゃんの分まで精一杯生きていかなければならないのだ。

 私は、将来看護師になりたいと思っている。私が病院に入院して、一人で不安で寂しかった時、話し相手になってくれたり、一緒に遊んでくれたりして気持ちを明るくしてくれたのは看護師さんの存在だった。病気の時には、私と同じように患者さんや家族は不安でいっぱいだろう。そんな時、そっと心に寄り添い、そばにいて笑顔にしてあげられるような看護師になりたい。さらに、助産師の資格もとってまさかちゃんのように生まれてくることができない命を一つでも多く救いたい。そして、まさかちゃんから学んだ"この世に生まれてこられるということは本当に奇跡なのだ"ということも伝えていきたいと思う。

 今、私は精一杯生きているだろうか。勉強も部活もそれなりには頑張っているが、精一杯とは言い切れない。こうして生きていることを当たり前のことだと思わず、感謝の心を持って自分の夢を実現するために努力していこうと思う。まさかちゃんは今日も、テレビ台の中から私のことを応援してくれている。